夏の日


世間では、学生達は夏休みという長い休暇に入り、社会人は有休消化が取れる人は
取り、取れない人は、夏休みなんて遠い昔の出来事だよね、さぁ、今日も残業だと、
日常を繰り返す。
それでも、運良く土日の連休でも頂ければ、一日は休息に、一日は、さて何をしようか。


目覚まし代わりの蝉の声。
日差しはじりじり、気温は上昇。
近所の犬は舌を出して、日陰で伸びている。
青い空に、わき上がる入道雲。
散歩道には向日葵の花壇。

小さな庭に植えてある草花も暑さで少しばかり元気がない。
朝と夕方の水やりは暑さが続く間は日課になりそうだ。


「兄さん、今日も暑くなりそうだよ」

セシルは慣れた様に兄の寝室に足を運びカーテンを開ける。
ベッドにはまだ、微睡みの中を彷徨っている兄、セオドール。
夏用の掛け布団は半分以上床に落ちて、辛うじて腹部に掛かっている程度。
首筋と額にはうっすらと汗をかき、暑いなら起きてしまえばいいのに…と、セシルは笑み
を浮かべる。

大学教授であるセオドールも学生が夏休みに入ってしまえば、毎日暇だろうと思ったが、
机の上には生徒達からの論文の山が積み重なっている。
セシルも大学生だし、論文の提出もあった。
期限内に提出したので単位を落とす事は無いだろう。
案外、大学生というのは授業が無い日は暇だ、セシルはサークルにも入っていないの
で時間的にもかなり余裕のある身分だ。
友人達は授業にサークルに、また暇があれば合コンだ、デートだと忙しそうにして、提出の
期限ぎりぎりに教授の元へ走っているのを目にする。

セオドールの授業は受けていないので、この論文の山にセシルの物は入っていない。
流石に、兄の授業を選ぶ事は出来なかった…というのが正直な所。

他の教授も夏休みはこんな感じなのだろうかと、セシルは思った。

「兄さん、朝ご飯出来てるから…」
「……う…むぅ…」

帰って来た返事は重い。
これはまだ少しセオドールは目を覚ましそうにないな。

セシルはセオドールを起こすのを諦めて寝室を出る。

共に暮らしてやっと一年が過ぎた。
両親を失って、幼い頃に離れ離れになり、再会し、一つ屋根の下で暮らせるようになって、
ようやくの一年だ。

最初の一ヶ月は業務的な会話しか交わせなかった。
兄弟だと言われても、あまりにも幼い頃に別れたのでセシルにはセオドールを兄と認識
するには記憶がなさ過ぎた。
この人が兄ですと言われ「あぁ、そうなのか」という感情しか浮かばなかった。
家族の情や親愛や、懐かしい…そんな思いはセシルの中には無かった。
それが兄に申し訳なかったし、自分が薄情な人間に思えた。

何を話せばいいのかも分からなかった。

どんな生活をして、誰と出会って…そんな踏み込んだ話が出来なかった、と言うのが
正しいだろう。

兄が共に暮らそうと用意した一軒家。
小さな庭付きの二階建て。
賃貸ではなく、完全な持ち家。

それだけ、セオドールが自分と暮らす為に努力したのだと思い知り、果たして自分はどれ
だけ兄の努力に報いる事が出来るのだろうかと…思った。

セシルはリビングに戻り、テーブルの上に並べた二人分の朝食の皿の一方にラップを
かけた。

セオドールにはこれが朝昼兼用になるかもしれない。

セシルは冷蔵庫からアイスコーヒーのボトルを取り出し、グラスに注ぎ、そこにミルクを
足した。
トーストを焼いて椅子に座り、一人の朝食を紛らわす様にテレビのリモコンに手を伸ばす。
休日の朝は特に見たい番組も無いが、セシルはいくつかのチャンネルを回して、適当な
情報番組の画面で手を止めた。

トーストにベーコンと目玉焼き、夕べの残りのサラダを添えたまるで朝食の見本みたい
なワンプレートのメニュー。

テレビの中ではタレントが笑っている。
内容は今年の夏に絶対に手に入れたいアイテムの数々を紹介している。
グルメにファッション、旅行に家電。
その中の旅行というテーマの時、画面に広がったのは南国の海の風景。

『今年の夏は南の島でプチ贅沢!』

そんな煽り文句でテレビの中では白い砂浜の続くビーチが映る。

『今年は絶対ビサイド島がお薦め!』

「へぇ、ビサイド島か、そういえば最近古代遺跡が見つかった所だっけ」

トーストを囓ってセシルが呟く。

旅ののプランはセシルが言った通り、発掘された遺跡を巡り、オープンして間も無いリゾート
ホテルで宿泊、エステにディナーにと紹介している。

(あれ、ビサイドってティーダが毎年行ってるって聞いたような。確か、彼女がいるとか…。
じゃ、今年も行ってるかも……)

そう思っていると、画面の中に見慣れた顔が映った。

『旅行客に話を聞いてみました。この島はどうですか?』
『もう、サイコーッス。海も綺麗だし、島の人はいい人だし、それに、オレの彼女も居るんッスよ』
『もう、君ったらっ』

「……」

セシルは思わず目を点にしてしまった。
テレビの中に友人が、ティーダが映っている。
満面の笑み、まるで太陽みたいなそのままの人柄がテレビ越しに伝わってくる。
隣に居るのは噂の彼女だろうか。黒髪に色違いの目をした快活そうな少女。
ティーダの言葉に照れているが始終手は繋ぎっぱなし。

『ラブラブですね』
『もちろんッス』

ティーダの満面の笑顔にVサインが画面一杯に映る。

『みんなー。見てるッスか。オレ、テレビに映ったッス〜』

「……ぷっ」

思わずセシルが吹き出した。
そこで画面がスタジオに切り替わった。
タレント達は島の風景の話をしたり、楽しそうな旅行者の感想を言ったりしている。

「ティーダも充実した夏休み過ごしてるんだ」

確かに毎日快晴で、長い休みで、一日中家に閉じこもるのも勿体ない気もする。

(海か…)

そう言えば、随分昔の事だけれど、海水浴に行った覚えがある。
海水が目に染みて大泣きして、けれどもとても幸せだった気がする。


『セオドール、セシルが泣いちゃった』
『父さんがいきなり海に放り込むからっ』
『いやぁ、父さんも子供の頃は父親にそんな事をされたから』
『セシルには早すぎです!』
『にぃに〜』
『あっ、セシル、セオドールばっかり懐いて父さん泣いちゃうぞ』
『みんな、お腹空いたでしょ?。お昼にしましょ』


赤いパラソルの下、父と母、兄と自分。
潮の匂いと海風と。

あぁ、そういえば、水玉模様の浮き輪があったっけ。
足が届かなくてそれにしがみついて、兄が寄り添うように泳いでくれた。

『セシル、にぃにが一緒だから平気だぞ』
『うんっ』
『セオドール、セシル、父さんも行くぞ〜』
『父さん、海でバタフライは止めて下さい!!』


遠い昔の記憶が呼び覚まされ、セシルは一人クスクスと笑う。

(そうそう、そんな事もあったっけ)

「何を笑っている?」
「あ、兄さん、お早う」
「?。あぁ、お早う」

セシルは時計を見、

「…まだ朝ご飯の時間帯に起きられたね」

と、言った。

「夕べは論文に目を通していたから遅くなったからな。一人で先に食べたのか」

セオドールの目が空になっているセシルの皿に目をやった。

「うん、兄さんもう少し遅いかと思って、トースト焼こうか、何枚食べる?」
「二枚。それと」
「それと、アイスコーヒーだろ?。ブラックで」
「あぁ、頼む」

セオドールが椅子に座り、自分の分の朝食のラップを外す。
その間にセシルはトーストを二枚、トースターに入れ、グラスと氷を準備し、アイスコーヒーを
セオドールの前に差し出す。
この一年でセシルはセオドールの好みが分かってきたし、同じようにセオドールもセシルの
好みが分かってきた。

一年かがりで兄弟に戻れた。
逆に言えば、一年もかかってしまったのだが。

実の兄弟でありながら、最初の頃の他人行儀だった事。

「さっきね、ビサイド島がテレビに映って偶然、ティーダが映ったんだ」
「ほぅ」
「夏休みを満喫してるなぁって思っちゃった」
「そうか」
「それでね、昔家族みんなで海に行った事を思い出したんだ」
「随分昔の事だぞ?。お前はまだ二、三歳だったと思うが」
「うん、だけどね、思い出したよ。父さんが海でバタフライしたのとか」

言って、セシルはまた笑った。
セオドールは思わず額を抑えた。
よりによってその記憶かと言うように。

「……父さんは時々無茶な事をする人だったからな……」
「でも、海でバタフライは無いよね」

セシルも自分のグラスにアイスコーヒーをつぎ足して、セオドールと向かい合うように座る。

「兄さんがずっと僕に付いててくれたのも思い出したよ」
「お前には初めての海だったからな…。足がつかないとすぐに泣いた」

セオドールは目玉焼きに箸を立てて口に運ぶ。

「にぃに、大好き」



ぴたり、…と、セオドールの動きが止まる。
視線を上げるとセシルは微笑んでいる。

「って、言ったよね。確か」
「……あ、あぁ、そんな事も言っていた様な気もするな」
「なんで今まで忘れてたんだろうね」

トースターが鳴って、パンが飛び出した。
セシルはそれを取り出してバターを塗り、セオドールの皿に載せる。
セオドールは黙々とサラダを口に運び、トーストに齧り付く。

「ねぇ、兄さん、また海に行こうね」
「……」
「近くの海水浴場でも良いけど、プチ贅沢でビサイド島…な〜んてね。ティーダと彼女、
凄く幸せそうだったんだ。まぁ、無理は言わないけど」

カランとグラスの中の氷が揺れた。

「……論文の採点が終わればな……」
「?」
「まぁ、早く終わらせるから……その、少し待っていなさい」

不器用な兄の言葉にセシルはまた笑ってしまう。

「じゃあ、海に一緒に行ってくれる?」
「あぁ」
「スイカ割りは?」
「二人でするのか?」
「ふふ、それは恥ずかしいね。花火は良い?」
「派手でなければな…」
「じゃあ、水着の用意しなきゃね」
「いや、泳ぐのは駄目だ」
「?。どうして」
「お前は目立つから色々と駄目だ」
「?」

セオドールの言葉にセシルは首を傾げる。

「兄さん、海に連れて行ってくれるんでしょ?」
「昼間に泳ぐと日焼けして大変だぞ。泳ぐなら日が暮れてから…だ」
「ええ〜」
「と、とにかく、論文が終わってからの話だ」

と、セオドールは食べ終えた皿を流し台に運ぶ。


白い砂浜に青い空。
そこに立つセシル。

太陽の光を受ける白い肌に、銀の髪。
泳いで濡れたのならば、その姿は色香を増して。

(駄目だ駄目だ!)

しかし、夜の海で泳ぐセシルとなるとまた違う。
月と星の明かりの下でセシルの白い体は波間を縫って……。
しっとりと濡れた髪を掻き上げて、自分を見つめて微笑むならば……。

(……って、余計に駄目ではないか)

セオドールは首を振って頭の中に浮かんだ映像を消す。
セシルはそんなセオドールの様子には気付かず、自分も食べ終わった皿を流し台に
運んでいる。
続いて流れて来た水音にセシルが洗い物を始めたと知る。
その後ろ姿を見つめ、

(……まったく、無自覚なのが一番厄介だ)

己の姿にも言動にも、弟は自覚という物がなさ過ぎた。


『にぃに、大好き』


今も昔も変わらない真っ直ぐな目で。
この最愛の弟は自分の感情をかき回してくれる。

とても幸せな方法で。

(さて、では早く論文の山を片付けてビサイド行きのチケットを確保して……忙しくなり
そうだ)

窓の下で風鈴が鳴る。
夏は始まったばかり。

ビサイド行きのチケットをセシルに渡す時、どんな表情を見せてくれるのか。

セオドールはそれを楽しみに、今は論文の山との格闘に向かった。

幸せな夏の日の為に。


終わり


【G-accum 朔】の相楽さんから頂いちゃいました!!。・゚・(ノ∀`)・゚・。

MASAKAの拙宅の現代パロ月兄弟ですよ!!!

ちょうど一年後の話ということで、仲良し月兄弟vv いいな〜いいな〜

本編ではまだ疎遠な2人なのでこちらで保養x2(〃▽〃)


相楽さん 素敵な小説ありがとうございました!!